近代香水の誕生秘話②


前回の続きです。


中東ではイスラームの開祖ムハンマドも香料を愛し、いたるところに香りを漂わせていました。


モスク(礼拝堂)の美しさを完璧にするため少量のムスクを建材のモルタルに混ぜていたようです。


また古代ブリトン(今のイギリス)人の服装は洗練から程遠く、


厳しい気候から身を守るためでしたが、やがてローマからの制服を受けたブリテン島は、


大陸から文化が流入して大きく様変わりします。ローマ人は文明、香料、化粧品、豪華な浴場などの


習慣を持ち込み様々な方向植物をこの地に植えました。


しかしブリテン島での芳香三昧の日々も長くは続かず、ローマ人がブリテン島から撤退すると


大陸から持ち込まれた香料や化粧品の人気も次第に廃れてしまいました。


時は経ち、


再び香料に関心を持ち出すのはハンガリーで誕生した「液体」がヨーロッパ中で話題になります。


ハンガリー王妃エリザベートがお抱えの錬金術師に作らせた「ハンガリー王妃の水」すなわち


ハンガリアンウォーターです。


これはアルコールをベースにした最初の香水で、主な香りはローズマリーでありました。


オーデコロンの始祖にあたり20世紀末まで作られました。


王妃はこれを肌に塗るだけでなく内服して、高齢になっても若さを維持したと伝えられ、


現に当時では長命である75歳で高いするまで神話は語り継がれました。


1547年カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアからフランスのアンリ2世の妃として嫁ぐ際、


お抱えの調香師ルネ ル フロランタンを宮廷に連れていきました。


フロランタンはグラースに豊富にある香料を使って「香り付きの革手袋」を作り、


アンリ2世に贈ると手袋がお気に召した王は増産を命令し、香り付き手袋はたちまち大流行しました。


香りとファッションの密接さはここから始まったとも言えます。


革手袋職人=調香師の時代は19世紀まで続き、その後、パリが世界的な文化の中心になると、


グラースでは香水と香料の需要が、革製品の需要を上回ります。


必然的にグラースの革生産者たちは店をたたむか、香水作りに職業を切り替えていきました。


1680年フランス国王ルイ14世は「世界一素敵な匂いのする国王」と呼ばれる香り好きで、


宮廷では香水が大いに流行しました。ルイ14世は1643年に手袋香水職人になる制度を改めるほどの


入れ込みようで調香師組合の会員に認定されるためには4年奉仕し、


さらに3年は師匠について学ばなければならないと義務付けしました。


イギリスでは香水の役割が「心地よい匂いを待とうため」より


「不快な匂いを包み隠す」要素が強かった時代でありました。


ドーバー海峡の両岸で香りの文化にこれほど差があったのは、


イギリスでは市民が香りをまとって楽しむ余裕がなかった事情もあります。


1665年ペストが蔓延したロンドンでは、


人口の約1/5が命を落とし大疫病による病人や死体のせいもあり、


街の悪臭はますます堪え難いものになりました。


やがて疫病が終焉すると衛生第一の観念が普及して香り付きの風呂が流行しだし


いわゆるサウナが登場します。


イギリスの香り文化は、ここから急速に発展と遂げていきます。


イギリスはフランスとは違う道を歩みます。


フランス人がもともと革のアンモニア臭を誤魔化すために香りを使ったのに対し、


英国調香師の先駆者は、嗅ぎに香りをつけました。


フランス革命後から皮革のにおいのマスキングとは違う、


より繊細な香りを求める趣向も誕生しました。


そこで「香水の祖先」のパイオニアがフランス香水業界をさらに発展させていきます。


そのうちのひとりがゲランでありました。


ピエール・フランソワ・パスカル・ゲランは薬学と科学をイギリスで学び、


香水商になる夢を抱いてパリに戻ります。


しかし無名だったゲラン社の製品は商店になかなか置いてもらえなく


救いの手を差し伸べたのが高級ホテルの「ル ムーリス」オーナーである伯父でした。


1828年、ゲランはムーリスで小さなブティックを開きます。


やがて店は大いに繁盛し、接客を通じて顧客の好みを知り、それぞれにあった香りを調合したのが


成功の秘訣でありました。ゲランは息子のエメを調香師にするべく鍛え上げ


エメは名香「ジッキー」を生み、ゲラン社繁栄の礎を築くことになります。


常連客は目新しい品を求め、香水商の競争が激しさを増していったこの頃に、


香水界を一変させる重要な出来事が起こりました。


1832年J・メロ&ボイボーがグラースに会社を設立し、


溶媒による抽出法を世界で初めて取り入れました。


これは香水界のビックバンと言えるほどの革新的な出来事でそれまでに使えなかった


多くの原料から、安定した高濃度の精油を抽出できるようになりました。


使える原料の幅が一気に広がり、加えて様々な合成香料が誕生したことで、


近代香水が大きく展開していくことになります。


19世紀終盤になると、産業革命で人々の生活は大きく様変わりしていきます。


香水業界も例外ではなく、錬金術師、ハーバリスト、小規模な家内工業から、


19世紀の後半には産業に発展していきます。


やがて精油の成分と分子構造も科学的に解明され様々な化学物質と合成することで、


魅力的な香りを発する新たな芳香成分も発見されたり…。


天然香料を主体に合成香料を見事なバランスで調合することで、


創作品と呼ぶにふさわしい名香が次々と生まれ続けています。


今私たちが香水を楽しんでいる背景にはものすごい文化とカルチャーが潜んでいました。



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